馬場美濃守信春の碑
 馬場信春の碑が討死の地より450mほど南に下ったところにあり、猿橋の近くに建てられている。発掘のとき、どこの部分か不明であるが、骨が出土されている。
 
馬場信春殿戦忠死の碑
 馬場美濃守は寒狭川右岸で戦死したが、その墓は長篠城跡の西方500mほどのところ、同川の左岸にある。馬場信春殿戦忠死之碑と刻んだものと文字が読み取れない自然石のものとがある。
 
高坂源五郎昌澄の墓
 昌澄は武田重臣高坂弾正昌信の嫡子であり、長篠城包囲軍として奮戦し、城外戦において討死を遂げている。
 しかし、なぜかその墓碑は最後の地から遠く離れた小川路に建てられている。
 
山本信供戦死の地
 軍師山本勘助の嫡子である信供は、はじめ長篠城を囲む城監視隊として高坂昌澄らと共に戦っていたが、長篠城北方のこの大海で討死したといわれる。