野田城跡
 信長は5月17日、決戦に向かうべく途中でこの地で野営している。
 また、京をめざした信玄最後の城攻め、上洛断念の地としても知られている。その退却理由は信玄の病だといわれているが、一説にはこの地で狙撃され、受けた傷が原因だとも伝えられる。
 
 
伝説信玄撃たれた場所
 野田城のすぐ西にある法性寺境内から階段を上がったところにある。
この地で腰を下ろし、野田城内から聞こえる笛に耳を傾けていた信玄に鉄砲が放たれ、傷を受けたと伝えられている。この直後の全軍退却の理由は信玄の病だとも、狙撃されたときの傷だともいわれている。
  
 
信玄塚 大塚
 設楽原に横たわるおびただしい戦没者の遺体は一ヵ所に集められて塚が築かれ、ねんごろに埋葬された。それが竹広の信玄原(武田軍主陣地)に築かれた信玄塚である。
 この合戦に直接関係のない信玄の名がついているのは、その偉名が大きいためだと思われる。