織田信長本陣極楽寺跡
 5月18日、設楽原に軍を進めた信長はこの極楽寺山に本陣を置いた。20日には決戦を前に諸将を集めて軍議を行い、その後の酒食席で諸将の緊張をほぐしたといわれる酒井忠次のえびす舞いや鳶ヶ巣山奇襲の進言もここで行われた。
 
織田信長戦地本陣茶臼山
 期待どおり武田軍が豊川を渡って、連吾川対岸の台地に布陣するを知るやいなや、馬防柵と掘をがっちり備えた信長はその夜、はやる心を押さえて雨の中、決戦にあたって極楽寺から茶臼山に本陣を移し指揮をとった。
 
茶臼山信長歌碑
 間もなく雨もあがり、松の梢を渡って来るすがすがしい風の中を、きつねの鳴き声が聞こえる。その情景をとらえて、信長は次のように(火縄銃が使え)「うれしき」と心境を歌に詠んだ。
  きつねなく声もうれしくきこゆなり
         松風清き茶臼山がね (信長歌碑)
 
信長賞詞地
 有海の丘陵(通称「コロミツ坂」と呼ばれる)にある「信長賞詞地」碑
戦い翌日、信長が長篠城を死守した奥平貞昌を呼び寄せて賞詞を与えたところである。賞与の杯と信長の「信」の一字を与えられて、以後は「信昌」と名乗るようになった。
 展望が開けた場所であり、東に長篠城、西に信玄台地を見渡すことができ、賞詞を与えるには絶好の場所であった。