徳川家康戦地本陣弾正山
 決戦を前に、家康は設楽原に張り出した小高い丘の南端にあり、設楽原を一望に収めることができるこの弾正山に本陣を構えた。。最前線を指揮した家康の地形判断は見事なものがあった。
 また、戦闘開始に当たって信長もこの山に来て、敵の動きを見ていた。
 
徳川家康物見塚跡
 弾正山の最も南端にあり、家康が戦況を見極め指揮を取ったところである。ここからは眼下、連吾川辺りには「竹広激戦地」、すぐ南には「八剣前激戦地」を見渡すことができる。
 
岡崎信康本陣地 松尾山
 家康の嫡子信康(当時17歳)は当初、大宮川西に位置するこの松尾山に布陣した。この時の信康の戦いぶりは賞賛に値するものであったといわれ、そのことが信長に警戒心を抱かせ、4年後の「築山事件」へと結びついていった。
 
織田信忠本陣地 天神山
 天神山と呼ばれるこの小山が信長の長男信忠(当時19歳)が陣をおいた場所である。連吾川沿いの前線からははるか後方に位置し、後詰として布陣していた。