鳥居強右衛門磔死の碑
 有海原の篠場野に建てられている「鳥居強右衛門磔死之跡」碑。鳥居はここで磔にかけられたと伝えられている。
 「わが君の命に代わる玉の緒を、何いといけん武士の道」
 これは軍記の伝える強右衛門の辞世である。強右衛門の剛勇に感銘を受けた武田方の諸将は、助命を進言したが、勝頼は許さなかったという。
 
鳥居強右衛門上陸地点
 信長への救援要請という使命を負って長篠城の重囲突破に成功した鳥居は、鳴子の網を掻い潜り4kmほど豊川を泳ぎ下り、連吾川が豊川に合流するこの広瀬付近に上陸したといわれる。直後、雁峰山で狼煙をあげて立て篭る城兵たちに活力を与えた。
 また、設楽原決戦前日の夜、鳶ヶ巣山奇襲の命を受けた徳川軍の酒井忠次隊もこの地点で豊川を渡ったという。
 
松平伊忠戦死の地
 有海から大海に向かう道路から左へ少し入り込んだ崖に深溝城主松平伊忠の石碑が建っている。
 鳶ヶ巣山砦を攻めた松平伊忠は深追いのため、この地で小山田隊に囲まれ、勝利した織田徳川連合軍にあってただひとりの大将格の戦死者となってしまった。