武田勝頼戦地本陣地 永観寺跡
(清井田)
 設楽原に軍を進めた勝頼は、まず清井田の永観寺跡に陣を置き、陣地検分の報告や合戦の打ち合せを行った。
 
武田勝頼武田諸将訣盃の跡
(清井田)
 設楽原の決戦に先立ち、武田軍の武将馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌次の四人が訣別の盃を交わしたところがこの清水ケ入といわれる。この地はきれいな水が豊かに涌き出るところとして有名であった。
 現在も清水が湧き出しており、当時をしのばせる。勝頼清井田本陣の近くにあり、決戦を前に喉を潤したことと思われる。
 
武田勝頼観戦地
 勝頼ははじめ、清井田に本陣を置いたが、やがて家康の本陣弾正山の正面に位置し連吾川を見下ろすこの地に本陣を移している。信玄台地才ノ神と呼ばれるこの丘陵の頂上からは、現在では植林された杉桧にさえぎられて見通しがきかないが、当時は両軍の戦況を掌握するのは格好な場所であった。
 
武田勝頼指揮の地
 内藤昌豊の本陣があった天王山は信玄台地の中央部にあり、勝頼観戦地である「才の神」より左前方に位置していた。正面左手には家康本陣地の弾正山、連吾川を眼下にして、正面右手には馬防柵再現地が望まれるところである。勝頼自らもこの最前線地へ姿を見せて、昌豊とともに指揮をとったといわれる。