設楽原決戦における両軍比較

  織田・徳川連合軍 武田軍
兵数 兵3万8千人(織田3万、徳川8千)
うち鳶ヶ巣山奇襲部隊3千人
兵1万5千人
(うち長篠城監視隊2千人
鳶ヶ巣山砦および支塁守備隊 1千人)
主力隊 信長直臣の母衣衆率いる鉄砲隊 騎馬武者の指揮官に率いられた
歩兵の長柄槍隊
鉄砲数 鉄砲3千丁とも千挺ともいわれる 300挺
軍馬   軍馬 騎馬1800匹 小荷駄1500匹
陣形  連吾川沿いに馬防柵および堀をはり巡らし、背後にある弾正山の地形を利用した防御砦 13段構えの鶴翼
戦法  まずは足軽を立てて鉄砲で敵を射撃し、敵が近づくと柵の後ろに隠れて敵を攻撃する。敵がひるむと柵を出て攻撃するということを繰り返し、柵際で敵に損害を与えるという方法をとった。 

 武田軍作戦の重要課題は、何よりもまず馬防柵の突破であった。それも、横一線に広がった散漫な攻撃では、銃撃の餌食になるばかりである。
 
そこで、右翼の馬場隊と左翼の山県隊とが、柵の背後に回りこんで敵陣に揺さぶりをかけ、中央の内藤隊が一点に攻撃を集中させ、錐もみ状態となって突破口を開き、そこから一挙に家康本陣を衝く、というものであった。 



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